こんにちは〜
カウンセラー画家 上杉めいです。
私モラハラ被害者に向かって、「自信を持ちましょう」ってことを
ばちくそ言ってきました。
ごめんなさいそれは間違っていました
モラハラを見抜くことや
自信があるないなんて、どうでも良かったんです
理由は自信を持つことよりも、
何か行動した時に
「どんな結果になろうとも受け入れて学ぶ」
という姿勢なんです。
結果に執着するのではなく
最終的な成り行きを
神さまみたいな別の存在に任せられる勇気なんです。
神様出てきた!!
上杉宗教!?怪しいと思われますね
私最近、神様なのか
亡くなったおじいちゃんおばあちゃんの守護霊なのか
目に見えないものの存在?力があることが分かったんです。
だって私たちの生きている世界は
「情報の空間」なんですもん。
目に見える世界は「物質空間」
それとは違った情報空間を生きているんです
詳しくはこちらに書いてありますが
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では宗教みたいになっちゃうから
さらっと話しますね。
「困ったときの神頼み」
「神のみぞ知る」
って聴いた事ありませんか?
そういう事なんです。
目の見えない何らかの形もあるんですね。
だから物質以外の見えないものが
私たちの生きている空間。
変になったと思われるのでw
ここではさらっとで終わらせますね。
モラハラを見抜こうと躍起になっているような人たちは自信がない
自己肯定感が低いせいで、最も身近な大事な人から
邪道な扱いを受けることになりました。
何をされても、どんな状況でも笑顔で
努力と根性で乗り越えれば
認められると思い
死に物狂いで生活してきたんです。
私もそうでした
だから私も躍起になって
どうにかもう二度と、モラハラ に合わないように
「自信を持つ7つのステップ」
を実践し、実感し、発信してきました。
しかし歴代のすごい人たちを振り返ると
自信があるように見えてはいたかもしれませんが
占星術などの占いや
月の満ち欠けに頼ったり
そんなものに
決断を委ねていることがわかりました。
歴史上の人物の名前は忘れちゃいました
徳川家康?社会と歴史は私の苦手分野ですw
そう歴代の偉業を成し遂げた人たちも
自信がなかったんです!
私の叔母さんにあたる
美しい美容師のおばさんがいるんですが
めちゃくちゃ強気の性格で
自信満々で堂々としていて
歯に衣ぬ被せぬ人で
私の家族にたいしてめっちゃ威張っていました。
「めいちゃんたちは貧乏だから嫌だ」と。
おばさんの美容室が大繁盛しているうちは良かったんです。
時は流れ、時代の流れによって
お客様が減ってくると
おばさんのキッチンにこんな張り紙が!
「私はお店が繁盛すると知っている」
「私の心は豊かで無限の可能性を持っていると知っている」
「皆が笑顔で、私たちの周りにいることを知っている」
マインドのセットをしているのだと思うのですが
お金があるということに
自信を持っていたので
なんかこんな滑稽なことに。
でもおばさんの明るくて前向きで
何にでも立ち向かってく美しい姿は
私大好きです。
自信をつけようとしなくて良い
モラハラを見抜こうと躍起にならなくて良い
私も「7つのステップ」で
周りの環境を固めていって
そして何か一歩踏み出して
成功体験を繰り返せば自信がつくよ!と力説してきました。
それも大事なことですし
全てが間違っているとは
いまだに思っていません。
現に
一歩一歩進んでいるという充実が
心の安定にもなりますから。
例えば
筋トレや、資格、肩書で自信をつける
ということをしている人もいるかと思います。
当然、資格や肩書きがあった方が
有利に働くこともあります。
私の持っている民間のカウンセラー資格よりも
臨床心理士の国家資格のある方は
カウンセラーとして即、就職しました。
羨ましくて、即、収入になるし、資格っていいな🤤って思いましたよ
しかし私は「モラハラ被害の心」
の人の気持ちをくむことは
どのカウンセラーより優っていると思ってます。
もしあなたが
自信がないからと言って筋トレ、資格、肩書を手に入れようと
思っているなら、
そんな形だけの自信など
ない方がいいです
それは
「お金さえあれば自分に自信が持てます」
と言っているようなものです。
私は
それほど愚かなものはないと思います。
筋肉マンになって自信を持とうとしている人は
人と比べて
「あいつには勝ってる」
あいつには勝てない!とか
すぐに人を見下したり
自分よりすごい人を見た時には自信をなくしたり
心がブレブレになります。
「そんなことは言っても上杉さん
モラハラを見抜けなかった
人が悪いのではないのでしょうか?」
なんてそんなことはありはしません
私自身、中学2年生からの知り合いの夫が
モラハラだなんて
2年前まで気づきませんでしたから
見て分かる通り
モラハラ加害者の心は常にブレブレです
それは他人との比較で自分が成り立っているからです。
モラハラ夫が必死になって
腹筋をしていたことを思い出しました。
彼は、私の腹の肉を強力で掴んで
「ほんっと恥ずかしい。汚い」
と罵りましたよw
健康に気を配るための
筋トレはおすすめですが。
例えば偏差値で高くて自信がある高校生がいます
ですが大学に入学すると偏差値という物差しがなくなります。
社会人になったら
偏差値の高いことは何の意味もありませんね。
必死に偏差値を追いかけて勉強して
優秀で大学に受かると
唯一の存在価値である偏差値がなくなります。
どんどん自分を見失っていきます。
私息子の大学進学説明会に参加した時に
先生方が「偏差値偏差値」と声を大にして
喋り
そして「高いお金を払って大学へ行くんだから
自分の未来のことを見据えて
しっかりと勉強するために行くんだ!!
親に感謝しろと伝えてる」
と言っていることに違和感がありました。
親に感謝は良いのですが
この子たちの未来に
夢も希望も楽しみもない。
あるのはプレッシャーだけ。
社会的に見て立派な大人になることより何より
勉強した先に、子供の夢見る、
かっこいい大人の姿はどこにあるんだい?
って思いましたよ。
それは世間では父親なのかもしれませんね。
子供や母親に「僕の仕事が大変なのはお前たちのせいだ」
と罵る大人と
毎日隠れて泣いている母親(私)の姿に
子供たちは何を感じていたんでしょう。
胸が痛みます
ああ
あのときモラハラを見抜いていれば・・・
なんて後の祭りです。
形により自信をつけている人たちは
「ガラスのハートの持ち主」です。
人よりも過剰に傷つくことを恐れている
それこそいつも不平不満に溢れて
それをごまかそうと、
何かわかりやすい形にすがり自信をつけようとします。
私たちモラハラ被害者になるような性質の人は
何か形と言うより
「夫に認めてもらうこと、
人に愛されること、
人に必要とされること、」
で自分の価値=自信を見出そうとしてきましたよね。
それはお相手のモラハラ加害者には心がないので
むりなことなんですよね。
世の中にはわからないことが
ゴロゴロしています。
ここで必要なのは諦めです。
いくら望んでもむりなものはむりなのですから
自信を持つための行動の前に
状況判断が必要です。
自信をつけることより(モラハラを見抜く)大事なこととは
巷にあふれた情報には
「私にはできる!」
と言い聞かすようなこと
とされています。
それより何より
結果を手放すこと
が大切なんです。
むりくり自信を繰り出すより
神のみぞしるということ
例えば「私にはそんなことできるかな」
と不安になってしますよね。
それは結果を恐れているからなんです。
成功しないとできないといけないという
概念があるからなんです。
だから結果がどうであれ
自分ができることは全てした上で
結果は神様に任せる
ということです。
モラハラ被害者が
「モラハラ脱出してもやっていけるか不安」
「お金の心配が」
「子供に父親が必要だから」
と考えているとします。
いつまでも
何が起こるかわからないし恐怖だし不安だから
といって結果を気にしてしまっているから。
結果に囚われているからです。
「モラハラの場合はそう
マインドコントロールされ支配されている」
ので普通とは違う世界の話なのですが
そう、全ては結果を恐れているんです
「自信がないはただの言い訳」
でしかないんです。
「自信がないから」と行動しないと
怖さから解放され、傷つかずに済むからです。
モラハラの場合、
恐怖から身動きが取れなくなっていますから
普通の世界とは違う次元の話です。
そう思わされているんです。
あなたがDVにあって苦しんでいるなら
「自信がないから」
という理由でそこに止まっている場合ではないんです。
次第に、病気になったり
動けなくなりますよ。
自死に至る場合もあるかもしれません。
とにかく
「まずは一歩踏み出してみる」しかないです。
そこに自信は必要ありません。
最善を尽くし
その上で結果は神様にお任せして
どんな結果だろうと学ぶことに変えていく
そしたらもう怖いものなんてなくなり
どんどん行動して、現実を開いていって
そして結果的には
大きく前進して
自分でも驚くような結果になる。
なんか凄くないですか?
私がモラハラ脱出をして
子供とお別れして
心身症状に悩まされて
そこからカウンセラー画家の道を選んだように
少しこれを読んでくださった
読者様の、今後が気になります
よかったら感想書いていってくださいね〜
では
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